asanokiひとりごと。

あることないこと、とにかくかきたいことかいてます。

シンドイ

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正直言って、


云いたいことはただひとつで、




ただ、生きるのがしんどいってことで。








もうね、最近そればっかりなんだよ。


















私は、

自由でいたいといつも思っている。


本当の自由なんて得られないことはわかっている。




本当の自由の定義について訊かれても


今は考えられないし答えられないけれど。











ある程度自由でいるために、



それを理解してくれる人が少なくとも数人は必要なのだろうと思う。




けれど、

あくまでも私の場合、



理解してもらうことはとても難しく



今までも苦しんだ。





増してや、


その相手が自分の好きな人や愛する人なら


心臓を取り出したいほどに息苦しかったりする。





それでも


愛と縁を切ることは


私にはできない。




自由でいたいとか好きなことしていたいとか

我が儘で愚かだと自分でも思う。















私はあるとき、


彼にやりたいことがあると伝えた。


彼は


それに反対した。


やらないでくれと云った。



私はその理由が理解できず、


彼はとてもちっぽけなのだと思った。


自分の意志は曲げられず、彼とぶつかった。




ぶつかるとは思っていなかった。

最初にぶつかってきたのは彼の方で、

彼はきっと、

思いを理解してほしいというその一心で

私を責めるような口調であれやこれや云ってきた。





こわかった。

理解してほしいという思いはお互いに同じで、

それがぶつかるばかりだった。



私は責められることを恐れていて。


そういうときはだいたい


怯え、胸が苦しくなり、終いには涙が零れる。





彼は偶にそうなることがあった。

そんな彼と私は一緒にいるべきではないと思った。



価値観も性格も異なる彼と一緒にいるときは

落ち着くし、幸せだと感じる瞬間もあったから、好きだった。

けれど、それと同時に一緒にいて楽しくはないことや価値観の相違から起こる

嚙み合わなさにしんどさを覚えていた。

会うたびにそのことに耐えて、

会うたびにそのことへの我慢や辛さが増した。

本来の、リラックスした自分は出せずにいた。





お互いに好きでも

一緒にいることが難しいことがあるのだと痛感させられた。


現実は、甘くなくて。








今はまだ

頭を悩ませてばかりいる。












しんどい。

アイアイシイ


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どうして君は、




そんなに愛らしいのだろうか。







どうして君は、






僕と顔を合わせるだけで、



話しているだけで、





そんなに


楽しそうで、




幸せそうなのだろうか。







そんなにも。









僕は、


そんな君を見ていると



なんだか恥ずかしくなってしまうよ。







それからね、






君の嬉しそうなその笑顔を




見ると、




僕もつられてしまいそうになるよ。








僕は、




君の笑顔がとても、






好きなんだ。









何故、






僕を見てそんなにも嬉しそうなのか



わからないけれど、






君の笑顔のお陰で




僕の幸せの一部分が出来ているよ。











かわいい君へ、





僕がいなくなっても




その愛愛しい笑顔を絶やさずにいてください。

イキガイ

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あの人は、

僕の生き甲斐で。










いつも僕は

周りの人々から

変人扱いされ


壁をつくられ


それを察して



彼等との間に

僕も壁をつくってきた。





寄り添うことを放棄して


まるで得体の知れないものを見るかのように

離れたところから僕をみた。



ときに変われと

変わることを強要してきた他人もいた。







けれど、


そんななかあの人は違った。



僕の言動、


他の人からは大抵バカにされることも



あの人は

面白いと優しく笑ってくれた。


その姿に見下す感じは少しもない気がした。



それからそういう面白いところも好きだと云ってくれた。






僕はとても嬉しくて


それからあの人は


僕にとって


唯一無二のかけがえのないものとなった。





ほんとうに、

あの人に僕は幾度も救われた。




生きることがしんどくて


泣きたいときも




いつもあの人は


僕に寄り添ってくれた。



貴方はそのままでいい

と、

変わることなど求めず、


ありのままの僕を受け入れてくれていると思えた。




あの人のおかげで


僕は今もこうして


生きられている気がする。




あの人とならば


この先の人生も


楽しくやっていける気がする。



あの人は



僕の




イキガイ。

エシャジョウリ

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もう会えない。



あの人とはもう。



そのことをわかっているけれど
わかりたくなくて、


その状態がもうここ1ヶ月ほど続いている。





連絡さえもとれない。


まあ、連絡が取れたなら会えるのだけども。きっと。




会者定離



会う者はいつか必ず離れる定めにあること。







この言葉は今から6年程前に知り、

それから他人との別れを迎える度に

自分に言い聞かせてきた。





そういうものだから。

いつかは離れるものだから。

受け入れなきゃ。


と。







けれども

やはり

別れは哀しく辛い。



どうしても寂しく、

うまく割り切ることができない。




弱い。

自分が弱くて悔しい。



もっと強くなれたなら。






そう願い日々を過ごす。

タンカ(お題より)

お題「好きな短歌」

 

 

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私の好きな短歌。

 

美しい短歌が沢山あって選ぶのが難しかったけれど、

 

 

いま、

好きな短歌は、

 

 

百人一首にある、

 

 

 

人はいさ

心もしらず

ふるさとは

花ぞ昔の

香ににほひける

 

 

というもの。

 

これは

紀貫之のつくったもので、

 

人の心は変わりやすく、あなたの心が昔のままかはわからない。

けれど、昔馴染みのこの里の梅の花だけは昔のままの香りで、

咲いている。

 

 

といった意味合いです。

 

百人一首には他にも色んな恋愛模様が読み取れる

綺麗な歌があります。

 

因みに

今からおよそ5年前は、

藤原道信朝臣

 

 

かくとだに

えはやいぶきの

さしも草

さしも知らじな

燃ゆる思ひを

 

 

という歌が好きでした。

 

短歌、

なんとも趣き深いです。

 

 

レンボ

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ある紙を見つけた。

過去の自分が書いたもの。

ポエムのような、、

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

或る日、君は見えなくなった。

僕は何故だか寂しくて泣いた。

深くは知り合ってなんかいなくて、ただ毎週1度1時間会うことが1年程続いていただけなのに。

どんな関係。

至ってシンプル、四角い関係。

それなのに何故だろう。

 

4ヶ月が経った。

僕はふと思い立ってパソコンを起動させた。

あの人の名前で検索した。

ただ、ただ伝え忘れた感謝の気持ちを伝えないと気が済まないと

今更…

 

幸運なことにあの人のSNSが見つかった。

それから2週間をあけて僕は挨拶をした。

深入りするのを嫌がっていたようにみえたから申し訳なくて。

プライベート地帯に踏み込んでしまったから。

君がまた、他のカタチでもみえるようになってとても嬉しかったけれど

やっぱり申し訳なさが纏わりついて葛藤する日々。

またみえるようになって僕は気付いた。

あの人がみえる、存在を感じられるようになったことが嬉しい理由。

 

あの人には大切な人がいることを知っていた。

だから相手にされないとわかっていたから、

過去の事の様にして最後に一通のメッセージを送ったんだ。

 

 

 

 

 

それから約2年後、

 

僕はどうしてももう1度だけ、

会って話したくなった。

 

 

どうにかコンタクトをとり

会うことが出来た。

 

お茶をしながらいろんなことを話した。

 

沈黙も、其処に君がいるということだけで嬉しくて、

幸せで、気になんてならなくて。

自分でも信じられないくらいあたたかい気持ち。

夢みたいで、

君をこの目に焼き付けようと見つめて、

でも照れくさくてすぐそらして。

 

それだけで幸せだった。

それだけで…

それだけで良かったんだ。

はずだった…

 

 

 

ソンザイ

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我思う故に我あり」

 

 

これは、

 

 感覚にも錯覚である可能性があるのだからその感覚が必ずしも確実だと言うことは不可能であり、また、この現実も夢であるかもしれず、本当に現実だとは言い切れない。 

然し、今こうして自分が疑っているということや考えているということは、疑いようもない確乎たる事実だと言うことが可能である。

というように懐疑的に思考した哲学者デカルトの有名な命題である。

 

 

 本当が何なのか、それは相当難しいテーマであると思う。私はこれについて考え、しばしば頭を悩ませていたりする。けれどいつも、やはり本当など誰にもわかりやしないことなのだろう、そもそも本当など必要ないのかもしれない、、というところに落ち着かせ、疲弊した思考回路を休める。

 デカルトのこの命題を知ったとき、初めて目から鱗が落ちたというか、“体のどこか薄暗いところに淀んでいた古い血が波立ち騒ぐようなかすかなざわめきが聞こえた”というか、瞬間的に全身を何かが通過したような、、

 

 

とにかくはっとさせられ、言葉をなくした。

 

 

 

 

自分の存在の有無に疑問をもったときには、このデカルトの言葉を思い出す。

 

 

 

ただ揺るぎない事実があることで

 

安心できる。

 

 

 

 

デカルト様に感謝しかない私です。

 

 

 

 

はい。