ソンザイ
「我思う故に我あり」
これは、
感覚にも錯覚である可能性があるのだからその感覚が必ずしも確実だと言うことは不可能であり、また、この現実も夢であるかもしれず、本当に現実だとは言い切れない。
然し、今こうして自分が疑っているということや考えているということは、疑いようもない確乎たる事実だと言うことが可能である。
というように懐疑的に思考した哲学者デカルトの有名な命題である。
本当が何なのか、それは相当難しいテーマであると思う。私はこれについて考え、しばしば頭を悩ませていたりする。けれどいつも、やはり本当など誰にもわかりやしないことなのだろう、そもそも本当など必要ないのかもしれない、、というところに落ち着かせ、疲弊した思考回路を休める。
デカルトのこの命題を知ったとき、初めて目から鱗が落ちたというか、“体のどこか薄暗いところに淀んでいた古い血が波立ち騒ぐようなかすかなざわめきが聞こえた”というか、瞬間的に全身を何かが通過したような、、
とにかくはっとさせられ、言葉をなくした。
自分の存在の有無に疑問をもったときには、このデカルトの言葉を思い出す。
ただ揺るぎない事実があることで
安心できる。
デカルト様に感謝しかない私です。
はい。